2022年05月04日

文豪が愛したワイン 〜山本周五郎が愛したブドー酒と牛鍋〜

先日、山梨県に行ってきました。もう長らくワインが造られる場所の空気を吸っていないことに気づき、休みを利用してワイナリーに足を運ぼうと思い立ったのです。試飲や醸造施設の見学はできなかったけれど、ブドウ畑を縫うように車を走らせながら目に留まったワイナリーに立ち寄り、予算を気にせずワインを買い込む時間はプライスレス。至福の時間を過ごしました。

立ち寄ったワイナリーのうちの一軒が、GRACE WINEこと中央葡萄酒さんです。フラッグシップワイン「キュヴェ三澤」はなかなか手に入らず、山梨ワインファンの垂涎のまととなっていますよね。フラッグシップ以外のGRACE WINEのワインは東京のショップやオンラインストアでも購入できますが、ぜひ一度現地を訪れてみたいと思っていたので念願の訪問でした。そこで出会ったのが今回の主役、「周五郎のヴァン」という酒精強化ワインです。かの文豪、山本周五郎が愛したとされるワインで、氏のエッセイ集『暗がりの弁当』に収録されている「笑われそうな話」で紹介されています。調べると山本周五郎は無類のワイン好き(氏の表現を借りるならば “ブドー酒” 好き)とのこと。そんなお人が愛したワインと聞いては手に取らずにはいられません。

今回は山本周五郎という作家の人となりに触れつつ、「周五郎のヴァン」をはじめ、山本周五郎が愛したワインに思いを馳せます。

庶民感覚を大切にした作家、山本周五郎

山本周五郎は山梨県出身の小説家です。多くの時代小説や大衆小説を書き、世に送り出しました。彼の素晴らしい作品を高く評価した評論家たちは、たびたび文学賞を授与しようとします。しかし周五郎はことごとく賞を辞退。彼は文学界の最高峰ともいえる直木賞受賞を蹴った唯一の作家といわれています。辞退の理由についてはさまざまな逸話が残っていますが、一説では庶民感覚を大切にするがゆえ自らの作品を「賞」という権威から切り離しておきたかったのではないかといわれています。本人はとことん賞を嫌っていたのに、没後その名を関した文学賞「山本周五郎賞」が創設されるとは、なんだか面白い流れですよね。

山梨県出身だからか、ワインに目がなかった周五郎。冒頭で触れたエッセイ集『暗がりの弁当』には、彼のワイン選びの哲学がそこかしこに散りばめられています。例えばこんな具合に。

「ブドー酒はメドックの赤のいちばん安いやつしか飲まなかった。ごくたまにシャトー銘柄のものを奢ってみても、舌が慣れないので値段ほどうまいとは思わない。」
(『暗がりの弁当 』山本 周五郎 著(河出文庫)より引用 )

小説同様、ワイン選びにも庶民感覚を発揮していたようです。なんと親近感を覚えるお茶目な文豪でしょう。ちなみに「山本周五郎」はペンネームで、本名は清水三十六(しみず さとむ)といいます。「山本周五郎」は彼が徒弟として住み込みをしていた質屋の店主の名前です。出版社に作品を郵送した際「山本周五郎方清水三十六」と書いたところ、担当者が作家名=山本周五郎と勘違いしたことがペンネームの由来だといわれています(諸説あり)。このエピソードからも彼の憎めないお茶目な一面が伝わってきますね。

山本周五郎が絶賛する「周五郎のヴァン」

主にメドックやバルサックといったカジュアルなフランス産ワインを愛でていた周五郎。そんな彼が絶賛した日本のワインがGRACE WINEの「周五郎のヴァン」です。

彼が『暗がりの弁当 』の中で「周五郎のヴァン」を褒めちぎった一節を引用します。

半ばばかにしながら啜ってみるとたいへんうまい、口腔から喉頭まで、やわらかくしみこむような味わいである。香りもやわらかであり、これまでに飲んだ和製ブドー酒のどれにも似ない、本当の「ヴァン」らしい「ヴァン」という感じがした。「こいつは傑作だ、うまいね」と私はKに言った。「まるで古酒といったい感じだよ、こんなうまいブドー酒が日本で出来るのかね」
(『暗がりの弁当 』山本 周五郎 著(河出文庫)より引用 )

この文章は「周五郎のヴァン」のラベルにも印刷されています。洒落てますね。

山梨県産のマスカット・ベーリーAと甲州をブレンドして醸し、発酵途中にフレンチブランデーを加えて造られた酒精強化ワインです。中央葡萄酒の三代目当主が醸した当時から現在まで、ソレラシステムによって継ぎ足しながら造っているのだとか。『暗がりの弁当 』の中では「マディラ(※1)」と書かれていますが、どちらかというと作り方は「シェリー(※2)」に似ていますね。
※1「マディラ」:世界三大酒精強化ワインの一つとされるポルトガルのワイン
※2「シェリー」:世界三大酒精強化ワインの一つとされるスペインのワイン

4年以上の樽熟成を経たワインは少しレンガ色を帯び、トロンとしています。グラスに注ぐとナッツのような香ばしさに、レーズンや干しイチヂクを連想する熟成香が合わさり非常に芳しい。口に含むと甘味とともにコクと清涼感が広がります。砂糖の甘さではなく味醂(みりん)の甘さ……といった具合でしょうか。複雑で奥行きがあって、周五郎が「こいつは傑作だ、うまいね」とうなったのにも頷けます。

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「牛鍋」と “ブドー酒”

甘みの強い赤ワインに合う料理といえば、「牛鍋」でしょう! 甘い割り下で煮込まれた牛肉が甘い赤ワインと相性ばっちりです。『暗がりの弁当 』の中で周五郎も「牛鍋」に赤ワインを合わせて楽しんでいます。

「牛鍋って……すき焼きのこと?」と思ったあなた、私も最初同じことを思いました。一般的に「すき焼き」として親しまれている料理はもともと「牛鍋」と呼ばれていたようなのです。一方、もともとの「すき焼き」は現在の「関西風すき焼き」と同義で、割り下で煮込むのではなくざらめと醤油で牛肉を焼いて食べる料理を指していたのだとか(諸説あり)。

周五郎が赤ワインに合わせていたのはあくまで「牛鍋」。彼はこの表現にこだわりを持っていたようです。ここはひとつ、私たちも「牛鍋」にこだわってペアリングを楽しもうではないですか。ワインの味わいとのバランスを考えて、割り下は甘めに味付けするのがおすすめです。牛肉はもちろん、個人的には味を蓄えた春菊とワインの組み合わせが絶妙で、試して欲しいところ! 鍋物の季節はやや過ぎてしまいましたが、初夏の合間に訪れる涼しい夜のお供によろしければ、ぜひ。

おすすめエッセイ『暗がりの弁当 』

GRACE WINEの「周五郎のヴァン」以外にも、山本周五郎お気に入りのワインについて触れられています。例えば現在のサントリーの前身「寿屋」の「ヘルメス・デリカ・ワイン」など、今はもう手に入らない郷愁あふれる銘柄が登場します。ワイン好き同志の綴った珠玉の庶民派エッセイ、ぜひお手にとってみてください。

『暗がりの弁当 』山本 周五郎 著(河出文庫)

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吉田すだち ワインを愛するイラストレーター

都内在住の、ワインを愛するイラストレーター。日本ソムリエ協会認定 ワインエキスパート。ワインが主役のイラストをSNSで発信中!趣味は都内の美味しいワイン&料理の探索(オススメワイン、レストラン情報募集中)。2匹の愛する猫たちに囲まれながら、猫アレルギーが発覚!?鼻づまりと格闘しつつ、美味しいワインに舌鼓を打つ毎日をおくっている。
【HP】https://yoshidasudachi.com/
【instagram】https://www.instagram.com/yoshidasudachi

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