
2020年12月26日
ワインは世界中の人を魅了していますが、文豪と呼ばれる人たちも例外ではありません。ワインの香りや味わいが彼らの感性を刺激して、素晴らしい作品へとつながったケースも少なくないのではないでしょうか。現代の日本の文豪、村上春樹さんも、そんなワイン愛好家のひとりといわれています。彼の小説やエッセイには、しばしばワインが登場します。中には実在するワイナリーのワインが登場する物語もあります。今回は村上春樹さんの作品にフォーカスしながら、物語に登場するワインを実際に味わってみようと思います。
今回取り上げる作品は、1990年刊行の短編小説集『TVピープル』に収録されている「我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史」です。物語のあらすじを簡単に紹介します。
主人公は、イタリア中部のある町で高校時代のクラスメートと再会する。異国の地で同郷の友に出会うという偶然を喜び、二人はレストランに入る。とりとめのない話をしながらきのこ料理とイタリアの赤ワインを味わううちに、話題はクラスメートの高校時代の話へとうつっていき……。
クラスメートの話の内容がこの物語のキーなのですが、ここでは割愛。ご興味のある方はぜひ小説を手にとってみてください。今回注目したいのは主人公とクラスメートが再会した時に飲んでいたワインです。ワインの銘柄はズバリ小説の中で触れられています。一節を引用すると……
「そしてもしそれが中部イタリアの小さな町の感じの良いレストランでなかったら、そしてワインが芳醇な83年のコルティブオーノでなく、暖炉に火が燃えていなかったら、その話は話されずに終わったかもしれない。」(『TVピープル』(村上春樹 著)より引用)
この文章に書かれているように、主人公たちが飲んでいたワインの名前は「コルティブオーノ」です。クラスメートが昔の話を切り出したきっかけのひとつとして登場し、物語が展開するために必要な重要なアイテムであることがわかります。そしてワイン愛好家にとって何より重要なのは、これが実在するワインであり、「芳醇な83年のコルティブオーノ」は無理でも最近のヴィンテージであれば私たちでも手にすることができるという事実です。
「コルティブオーノ」は、中部イタリアのトスカーナ州を代表するD.O.C.G.キャンティ・クラシコのワインです。
トスカーナといえばキャンティが有名ですが、キャンティとキャンティ・クラシコはまったくの別物。簡単にいうと、昔キャンティが量産され質が低下した時期に、危機感を覚えた生産者たちが「ワインの質を保ち、ブランドを守りたい」と発起して立ち上げたのがキャンティ・クラシコです。現在ではキャンティの品質も向上していますが、過去の経緯からキャンティとキャンティ・クラシコは味わいも醸造ポリシーも異なる道をたどりました。キャンティが軽やかな味わいでカジュアルなワインなのに対し、キャンティ・クラシコは芳醇な香りと優美な味わいが特徴のちょっとリッチなワインです。キャンティ・クラシコには高品質なワインの証明として「ガッロ・ネーロ」と呼ばれる雄鶏のマークが必ずついています。
「コルティブオーノ」を生産するワイナリー、バディア・ア・コルティブオーノは、キャンティ・クラシコを生産するエリアの中でも特に古い歴史をもつガイオーレ・イン・キャンティ地区(「キャンティ発祥の地」ともいわれる)にあります。バディア・ア・コルティブオーノ自体の歴史も非常に古く、建物はもともとベネディクト派の修道院として1051年に建立されたものです。彼らの畑は古典的で長熟型のワインを造る村として有名な「モンティ」地区に位置しています。また現オーナーのエマヌエラさんは、女性として初めてキャンティ・クラシコ協会の会長に選任された方なのだそうです。キャンティとキャンティ・クラシコの伝統、コルティブオーノにあり! といっても過言ではないほどの立役者的存在です。
さて、そんな「コルティブオーノ」を実際に味わってみましょう……とその前に、もう1冊紹介したい本があります。それは、村上春樹さんが記した紀行文集(エッセイ)『ラオスにいったい何があるというんですか?』です。このエッセイでは村上春樹さんがイタリアに滞在しながら「我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史」を書いた時の話や、「コルティブオーノ」のワイナリーを訪問した話などが書かれています。その中にこんな一節があります。
「(小説の中で)コルティブオーノという固有名を出したのは、ローマに住んでいた頃、僕が実際にこのトスカナのワインをよく好んで飲んでいたからだ。」(『ラオスにいったい何があるというんですか?』(村上春樹 著)より引用)
村上春樹さん自身が「コルティブオーノ」を愛し、小説に登場させてしまうほど、ファンになっていた……これもまた痺れる事実ではないでしょうか。また、同エッセイでは、小説の中で主人公たちがレストランで食べていた “きのこ料理” はポルチーニ茸の料理であることも明かされています。小説をなぞって体験するならば、やはり「コルティブオーノ」とポルチーニ茸の料理のペアリングを楽しむべきですよね!
ということで実食してみました。
今回は2016年ヴィンテージを用意。合わせたのはポルチーニソースのスパゲッティです。
2016年の「コルティブオーノ」は、少しレンガみを帯びた綺麗な赤い色をしています。ベリー系の果実の香りと甘いスミレの花の香り、そしてほんのり煙草のような木樽の香りが鼻腔をくすぐり、期待値が高まります。口に含むとバランスのいい酸味が広がり、高級感を感じます。サンジョヴェーゼの親しみやすさに優美な印象が加わり、確かにキャンティとは違う味わいです。タンニンもほどよく、渋みが苦手な方でも楽しめると思います。
風味の中に森に生えているキノコの湿度を感じ、これがポルチーニソースのスパゲッティの風味とよくマッチします。ポルチーニ茸はイタリアでよく栽培されているきのこです。もともと「ポルチーニ」はイタリア語で、「子豚」を意味する単語の複数形です。コロンとしたキュートなフォルムが子豚のようであることから、そう呼ばれるようになったのだとか……。子豚のよう……に見えますでしょうか。
閑話休題、イタリア生まれのポルチーニ茸とイタリア生まれの「コルティブオーノ」、同郷の彼らにはちゃんと共通点があり、口の中でほどよいハーモニーを奏でてくれました。村上春樹さんの小説の中でも同郷の友人同志がディナーをともにします。ワインと料理のように、そこにはある種のハーモニーが生まれ、普段なら口にしないような昔の話へと導かれたのかもしれませんね。
なお、トスカーナ地方ではイノシシ肉などのジビエ料理が有名なのだそうです。「コルティブオーノ」をはじめとするキャンティ・クラシコはジビエ料理との相性も抜群といわれているので、次回はジビエとのペアリングも試してみたいと思いました。
文学を読んで、そこに登場するワインを実際に味わうと、とても豊かな気持ちにひたれます。著名な作家の感性を刺激したワインから、自分はどんな刺激を得られるのか……そんなことを想像していただくと、より一層ワインの味わいに深みが増すような気がします。
機会があったらバディア・ア・コルティブオーノのワイナリー施設を訪れてみたいです。その際はぜひ村上春樹さんにならってアルファロメオのレンタカーを借りて……(詳しくはエッセイ『ラオスにいったい何があるというんですか?』を参照)。
吉田すだち ワインを愛するイラストレーター
都内在住の、ワインを愛するイラストレーター。日本ソムリエ協会認定
ワインエキスパート。ワインが主役のイラストをSNSで発信中!趣味は都内の美味しいワイン&料理の探索(オススメワイン、レストラン情報募集中)。2匹の愛する猫たちに囲まれながら、猫アレルギーが発覚!?鼻づまりと格闘しつつ、美味しいワインに舌鼓を打つ毎日をおくっている。
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